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福岡県柳川市
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◆ 柳川の風物詩である花嫁舟(式場から披露宴会場にドンコ船で移動する花婿・花嫁さん)後ろは椛島菖蒲園
◆ 日吉神社での結婚式を終えて披露宴会場に舟で行く
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柳川の水郷の風情を味わうには川下りが一番です、古き良き時代のなごりを残した
静かな城下町のたたずまいを味わうことができます。
そして、運が良ければドンコ舟で披露宴会場に行く新郎新婦に会うこともできます。
これも柳川ならではの風景で、とても風情がありいいですね。この舟で行く結婚式はけっこう人気があり、地元以外の人の申し込みも多いそうです。
そう言えば、昔に潮来花嫁さん(いたこはなよめさん)という歌が流行った事がありました。その歌詞にも「潮来花嫁さんは舟でゆく・・・・・」と言うのが
ありましたが、まったくそれと同じ情景です。
舟で行く花嫁さんの写真を撮りたい人は大安吉日の日に訪れてください。運が良ければ写真が撮れます。
水郷柳川の観光は一番が「川下り」で二番が「柳川御花」の見学、三番が「北原白秋の生家」の見学ですね。普通に見学すれば「川下り」が約1時間10分、
「柳川御花」が1時間、「北原白秋の生家」までの徒歩での移動と見学で約1時間30分、堀割沿いの「白秋道路」などの散策などで1時間30分、合計約5時間程度みておく必要があります。
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◆ 観光客から祝福を受ける ※クリック-->ビッグ写真
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◆ とても風情がある花婿、花嫁一行のドンコ舟
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◆ 「水産堂」さんの「なまこ壁」も風情がある
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◆ 水郷柳川を代表する風景「どんこ舟と並倉(赤レンガ倉庫)」 ※詳しくは「川下りの詳細ページ」をご覧ください
◆ 柳川は北原白秋の生誕地。白秋の歌碑が水路脇に建つ
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◆ 城内に入る唯一の水門「柳川城掘水門」
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◆ 瀬高御門外(せたかごもんがい)の道標
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◆ 蜘蛛手(くもで)棚 (柳川地方古来よりの漁法)
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北原白秋生家 (きたはらはくしゅうせいか)
日本を代表する詩人「北原白秋」は19歳までの青春時代を故郷、柳川ですごしました。
大きな造り酒屋だった白秋の生家は復元され白秋の著書や原稿、写真などが展示されています。
写真は明治37年の撮られた写真で左より北原白秋、中林蘇水、若山牧水です。北原白秋は当時は射水と号しており、自称、早稲田の三水と言っていました。
早稲田在学中は白秋と若山牧水は下宿を共にし、同級であった中林蘇水とも親しかったようです。
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◆ 白秋の生家は造り酒屋なのでりっぱな家※場所はここ
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◆ 左より北原白秋、中林蘇水、若山牧水(明治37年)
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旧柳川藩主立花伯爵邸 柳川御花 (やながわおはな)
柳川御花は初代柳川藩主立花宗茂の4代目鑑虎(1697年)が四方に堀を廻らせて造った別邸。宮城県の松島を模したといわれる庭園「松涛園」は、280本の松と、
冬季に群来する300羽に及ぶ野鴨で有名です。昭和53年国の名勝に指定され、故16代目当主が料亭旅館として経営を始めました。
有明海珍味やうなぎのセイロ蒸しが絶品です。
柳川御花の建物のほとんどは明治になって増築されたものですが、入口正面に見える鹿鳴館建築の「西洋館」は格調高い優美さであり明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっています。
■ 詳しくは「御花」の詳細ページをご覧ください。
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◆ 鹿鳴館建築の「西洋館」は格調高い優美さであり明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっている
◆ 鹿鳴館建築の「西洋館」の内部
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◆ 280本の松を配した庭園「松涛園」
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● 武家屋敷と歌碑・句碑
・武家屋敷(旧戸島家住宅)
旧戸島家住宅(きゅうとしまけじゅうたく)は城内地区の西端、鬼童町の一角にあり、江戸時代後期建築の侍屋敷で
文政11年(1828年)に庭園とともに建設されました。(寛政年間建築の説もある)
数寄屋風の意匠を持つ葦葺屋根の建物と掘割から水を引き入れた池を持っており、庭は国の名勝庭園となっています。
・武家屋敷(十時邸)
十時邸(とときてい)は旧戸島家住宅と並び柳川地方の武家屋敷の典型例として高く評価されていますが、個人所有の住宅であり一般公開はされていません。
ただ、柳川雛祭り「さげもんめぐり」期間中などだけ期間限定で公開されるようです。
・歌碑・句碑
柳川には歌碑や句碑が多いですね。北原白秋関係のものが多いようですが、それ以外にも壇一雄や高浜虚子など多くの人の歌碑や句碑があります。
この歌碑や句碑をめぐる柳川の観光もいいかもしれません。
田中 吉政(たなか よしまさ)公
柳川で人気のある歴史上の人は、なんといっても田中 吉政(たなか よしまさ)ですね。一般的にはあまりしられた人物ではないと思いますが、
田中 吉政は1547年近江国(現滋賀県)に生まれ、関ヶ原の戦(1600年)で石田三成を捕えた功績により筑後32万5千石の領主となり柳川城に居住しました。そして
柳川城の整備や筑後川、矢部川などの治水事業も行いました。近世筑後の礎を築いた人です。ようするに、今の柳川の掘割なども造った人で、この人のおかげで今の柳川の「川下り」が行えるということですね。
弥兵衛門橋(やえもんばし)そばに田中 吉政公の銅像があり、真勝寺には墓があります。
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◆ 武家屋敷(旧戸島家住宅) ※場所はここ
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◆ 武家屋敷(十時邸) ※普段は一般公開されていない
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◆ 石橋庭水中歌碑
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◆ うなぎ供養碑
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◆ 近世筑後の礎を築いた田中吉政公
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◆ 壇一雄文学碑
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◆ まちぼうけの碑
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◆ 高浜虚子句碑(柳川城掘水門の所にある)
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◆ 帰去来詩碑(白秋詩碑苑にある) ※場所はここ
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■■■■■ 三柱神社(みはしらじんじゃ) ■■■■■
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三柱神社
三柱神社は三橋町藤吉にあり、柳川城から見ると、ちょうど鬼門の方角にあたります。鬼門の守護神の役目もあったのだと思われます。
さて、この三柱神社は初代藩主立花宗茂公とその夫人、岳父戸次道雪公の三柱を祀る宮で、3人を祀っているので「三柱神社」という名前になったようです。
神域は62,000uもあり、中に護国神社などもあり桜の名所である高畑公園になっています。
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◆ 工事中であった三柱神社の本殿 (2010/3/14 撮影)
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三柱神社(みはしらじんじゃ)の長い参道は旧藩時代には馬場として使用されていました中央に並木道、左右に吉野桜を配して、参道の北端に御影石の大鳥居、左に心字の池があります。
そして日光東照宮の陽明門を模した楼門、安芸の厳島を模した廻廊などがありましたが、平成17年6月3日に放火により全て消失しました
現在(2010年)は再建中でしたが、昔の荘厳な面影はなくなってしまいました。まことに残念なことです。
毎年10月9日〜11日の3日間行われる三柱神社秋季大祭(おにぎえ)には、県指定無形文化財「どろつくどん」や踊り山車が繰り出され、夜遅くまで賑わいます。
※1 は現地案内板の写真を転載しました。
● 三柱神社の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 新しく再建された拝殿
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◆ 焼失する前のりっぱな楼門 (2002/6/9 撮影)
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◆ 焼失する前の拝殿 (2002/6/9 撮影)
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◆ 太鼓橋から続く長い参道(周辺は高畑公園)
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◆ 秋季大祭には「どろつくどん」や踊山車が繰り出す ※1
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■■■■■ 松月文人館&安東省庵の墓 ■■■■■
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松月文人館 (しょうげつぶんじんかん)
北原白秋の詩集「思ひ出」の中の「立秋」という詩に出てくる柳川の遊女屋「懐月楼」跡は現在の松月文人館の建物です。
この旧懐月楼跡(後に料亭「松月」)は、明治〜大正〜昭和の文豪ゆかりの建物でしたが
平成6(1994)年にその歴史に幕を閉じ、5年後の平成11(1999)年に松月文人館として一般公開(無料)し、2階が文学資料館になっています。
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◆ 三階建ての 松月文人館 ※場所はここ
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松月文人館は三柱神社の入口である太鼓橋の場所にあり、そこは川下りの発着場となっています。柳川の表玄関である西鉄の柳川駅から一番近い川下りの発着場で、
ここから人気のある御花のそばまで川下りする人が多いですね。
●安東省庵(あんどうせいあん) の墓
松月文人館から約150mくらい離れた場所にある浄華寺に安東省庵の墓があります。
この安東省庵は元和8年(1622年)柳川市本町に生まれ、元禄14年(1701年)80歳で没しました。
省庵は柳川城城主立花宗茂、忠茂、鑑虎の三代に仕へ、柳川藩儒学の伝統を築き多くの弟子や門下生を育成した人です。
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◆ 松月文人館の前にある「立秋詩碑」
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◆ 近くの浄華寺にある安東省庵の墓 ※場所はここ
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■■■■■ 西鉄 柳川駅 (やながわえき) ■■■■■
◆ 柳川市の表玄関である西鉄 柳川駅
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福岡県の南部の端近くにある柳川市にはJRは通っていません。JRの一番近い駅は隣町のみやま市にある鹿児島本線の瀬高駅です。
JRは通っていませんが西鉄は通っています。天神大牟田線の柳川駅が柳川中心地に一番近い駅です。
西鉄柳川駅は全列車停車駅で福岡市の中心地である西鉄天神駅から柳川までは特急で約50分です。
電車往復券と川下り乗船券が付いている「いちにち紀行」というクーポン券なども販売されています。
少し割安になるようなので電車で柳川に行く人は検討してみてはいかがでしょうか?
● 西鉄 柳川駅の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 特急電車など全列車が停車する
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◆ 西鉄 柳川駅前にある「からたちの花詩碑」
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■■■■■ 柳川古文書館&柳川あめんぼセンター ■■■■■
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● 柳川古文書館
柳川古文書館は柳川市隅町71-2にある鉄筋コンクリート造りのりっぱな建物です。
筑後地方にある多数の古文書などの保存・管理を行う事を目的に造られたようです。
そして一部の古文書などの展示も行っています。入館料は無料ですが、墨で書かれた古文書を見ても
私のように学の無い者には「猫に小判」で、あまり面白くないですね。
● 柳川あめんぼセンター
柳川あめんぼセンターは柳川市一新町3-1 にあります。図書館の機能が大部分でが、水の資料館も併設しています。
市街地のジオラマや、掘割の成り立ちから柳川の水辺の生き物の生態までが一目で分かるパネル展示などがあります。
あまり見るべきものはありませんが、入館は無料なので歩き疲れた時に休憩するには良い施設です。
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◆ 柳川古文書館 ※場所はここ
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◆ 柳川あめんぼセンター ※場所はここ
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■■■■■ 真勝寺(しんしょうじ) ■■■■■
◆ 真勝寺周辺は寺が多い(正面が真勝寺、右は正応寺)
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真勝寺(しんしょうじ)は柳川城掘水門の近くにあります。この周辺は寺が多く、真勝寺、正応寺、光善寺、浄勝寺と4つの寺が並んでいます。少し離れて風浪神社、淡島神社、長命寺というのもあります。
とにかく柳川は古い城下町なので寺や神社が多いですね。それだけに柳川は落ち着いた佇まいをしている町です。
現地の説明板によると、この真勝寺(しんしょうじ)は2代忠政が慶長16年(1611)に吉政の遺骸を藤吉村に葬り、その墓上に一大伽藍(がらん)を建立した。それが今の真勝寺で、
本堂下には吉政の墓石があり本堂自体が吉政の墓になっているとの事です。
また、本堂の北側より床下を通り吉政の墓石に参拝できるようだが、入口が分からなかった。
吉政は、慶長14年江戸へ向かう途中、伏見で没していますが、遺骨を持ち帰ったという事ですかね?
※3 は現地案内板の写真を転載しました。
● 真勝寺の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 真勝寺の山門
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◆ 田中吉政公の墓の上に建てられている真勝寺の本堂
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◆ 質素な田中吉政の墓 ※3
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◆ 田中吉政公の顕彰碑
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◆ 真勝寺の歌碑
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■■■■■ 日吉神社(ひよしじんじゃ) ■■■■■
◆ 日吉神社の鳥居
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柳川の鎮守である日吉神社は柳川地方では古くから「山王さん」の名で親しまれており、伏見天皇の正応3年(1290)に近江国坂本に鎮座の日吉神社の御分霊を現地にお祀りしたのが始まりと伝えられ、
山王宮又は山王大権現とも呼ばれています。
御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)で地主の神として、古来より魔除け、厄払い御神徳あり、万福招来、繁昌、満足を授けると言われています。
また、社殿は元禄9年立花鑑虎公祈願成就によって再建され、当地方最古の建物と称されています。
境内には河野静雲句碑、作家長谷川健の文学碑、うなぎ供養碑など多くの石碑が建てられています。
初詣・宮参りなどの年中行事や結婚式などで柳川市民に一番親しまれている神社で、大安の日にはこの神社で結婚式を行い、披露宴会場まで柳川の風物詩である花嫁舟で川下りする光景を見る事ができます。
● 日吉神社の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 当地方最古の建物である日吉神社の社殿
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◆ 日吉神社の拝殿の中
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◆ 拝殿の中にある子獅子の面
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◆ 飾られていた「さげもん」
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◆ 河野静雲句碑
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■■■■■ 柳川城阯 ■■■■■
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柳川城阯 (やながわじょう)
柳川市本城町にある柳城中学校のグランドの片隅に柳川城阯(“跡や址”ではなく“阯”と書くようだ)があり天主台跡などが残っています。
柳川城は永禄年中(1558〜1569)蒲池鑑盛(かまちあきのり)によって、近世の城郭の基礎となるものが整備され、
蒲池氏が滅んだ後に、天正15年(1587)立花宗茂が入城しました。
その後、慶長5年(1600)関ヶ原の役で功をたてた岡崎城主 田中吉政が、筑後一円の領主として入城すると、天主閣を備えた近世城郭を築きました。
水の利を充分にいかした平城で掘をめぐらし、扉の開閉によって城内の水が増減できるようになっていた天然の要害で、
戦国の動乱時に2度に及ぶ攻撃を受けましたが、陥落しなかったようです。
田中氏の断絶後には元和7年(1621)立花宗茂が再び城主となり、以後、立花氏10万9千石の居城として明治維新まで続きました。
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◆ 中学校のグランドの片隅にある柳川城阯
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明治維新まで持ちこたえた柳川城でしたが、明治5年(1872)正月十八日夕刻に火が出て慶長以来威容を誇った天守閣も一夜にして焼失しました。
石垣については明治7年(1874)の大風により海岸堤防が決壊したためその補強に転用されてしまいました。
今は石垣も無く、土を盛った丘のようになっています。ここまで訪れる観光客も少ないようで、ひっそりと佇(たたず)んでいる城跡という感じです。
※4 は現地案内板の写真を転載しました。
● 柳川城阯の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 城跡には、いくつかの大きな石が転がっていた
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◆ 天主台跡はかなり広い
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◆ 丸くくぼんだ石もある
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◆ 柳城中学校
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◆ こういう城であったようだ ※4
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◆ 石垣はないので土を盛った丘のような柳川城阯
■■■■■ 福厳寺(ふくごんじ) ■■■■■
◆ 福厳寺(ふくごんじ)の山門
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福厳寺(ふくごんじ)は1587年(天正15)立花宗茂公により岳父戸次道雪公の菩提を弔うために建立したのが創建で寺名は道雪公の法名「福厳寺殿」から名付けられたもので
梅岳山福厳寺と称しました。
その後、田中吉政の時代に一時取り壊されたが、1669年(寛文9)に柳川藩の三代藩主・立花忠茂公の時代に菩提寺として再建し、
高僧鉄文を招いて臨済宗黄檗派(おうばくは)に改め現在に至っています。
伽藍は東に山門、北に本堂、南に天王殿、西に鐘鼓楼と開山堂が配されており、
本堂背後には、歴代藩主の墓所である御霊屋(おたまや)があります。本堂前には柳川城址から移された板碑六地蔵が立っており、
墓所には柳川が生んだ文学者・長谷健や作家・檀一雄のお墓があります。
なお、福厳寺(ふくごんじ)では「普茶料理」を予約により出しているそうです。
● 福厳寺の場所はここ(中心の"+"の位置)
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◆ 左より鐘鼓楼、開山堂、本堂の建物
◆ 本堂の背後にある御霊屋(おたまや)
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◆ 本堂の正面にある天王殿には仏像がたくさんあった
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■■■■■ からたち文人の足湯 ■■■■■
◆ 約50人が同時に入浴できる「からたち文人の足湯」
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「かんぽの宿柳川」東隣りの川下り(外堀)コース沿いに「からたち文人の足湯」があります。
2007年2月28日にオープンした足湯で、人気のある観光地である御花などの入口から約500m離れている場所で、少し辺鄙(へんぴ)な場所です。
無料駐車場もあり、ここに駐車して柳川を散策する基地にするには、とても良い場所です。
疲れたら、のんびり足湯につかって、体と心を癒してください。足湯は無料で、タオルを100円で販売しています。
源泉のかけ流し方式で、年中無休。利用時間は午前10時〜午後6時。
● 足湯の場所はここ(中心の"+"の位置)
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■■■■■ 沖端水天宮(おきのはたすいてんぐう) ■■■■■
◆ 地元では「水天宮さん」と呼ばれている沖端水天宮
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沖端水天宮(おきのはたすいてんぐう)は
明治2年(1869)に久留米水天宮から勧請(かんじょう)し、同地区内にあった稲荷神社、弥剣神社(祇園社)の3社を合祀したもので、
地元では「水天宮さん」と呼ばれています。
毎年、沖端水天宮祭りが5月3日から5日までの3日間、夏場に多くなる水難事故を防ぐため行われ、
大きな船舞台にて、子供たちが笛や太鼓を奏でるお囃子が有名です。
● 水天宮の場所はここ(中心の"+"の位置)
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■■■■■ 柳川雛祭り さげもんめぐり おひな様水上パレード ■■■■■
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さげもんめぐり おひな様水上パレード
旧暦で始まる柳川の初節句は、「さげもん」という手作りの飾りで健やかな子供達の成長を願い、
手まりや鳥、匂い袋などの縁起の良い小物を部屋いっぱいに吊します。
この時期には観光客にも楽しんでもらおうと、色とりどりの「さげもん」で町中が飾られ多彩なイベントが催されます。
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◆ 水上に飾られた「さげもん」の下を稚児達が水上パレード
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柳川雛祭りの見所は、「おひな様始祭(はじめさい)」、「おひな様水上パレード」、「おひな様里親さがし」、「流しびな祭り」などで、
2010年は2月11日「おひな様始祭(はじめさい)」、3月14日「おひな様水上パレード」、3月28日「おひな様里親さがし」、4月3日「流し雛祭」でした。
旧暦で行われるため年により日程は変わります。
3月14日の「おひな様水上パレード」に行ってきました。
水上に飾られた「さげもん」の下を、和服姿のお内裏さま・お雛さま、幼児など約二百人が十二隻のどんこ舟に乗り、沖端から三柱神社までの約四キロを11時にスタートし一時間半かけて巡ります。
「水のまち柳川」ならではの光景に出会えると同時に子供を大切に育てた日本人の優しい気持ちを感じることができました。
■詳細は「おひな様水上パレード」のページをご覧ください。
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◆ 大きな声で「こんにちは」と言いながらパレード
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◆ 川そばの「さげもん」とおひな様水上パレード
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■■■■■ 琴奨菊、故郷柳川で水上パレード (2011/10/15) ■■■■■
◆ 大関琴奨菊が故郷に錦、柳川をどんこ舟でパレード ※ 詳細はここ
[ 柳川市の魅力が満載♪ ふるさと納税 福岡県柳川市 特産品 返礼品 ]
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柳川・厳選オススメの宿
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● 柳川藩主立花邸 御花 (旧:御花松濤館)
住所:福岡県柳川市新外町1
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写真提供:じゃらん
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● 特色
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柳川藩主立花家別邸。国指定名勝の松濤園には280本の松を配し、冬には300羽に及ぶ野鴨の群来が有名。有明海珍味やうなぎのセイロ蒸しも絶品。
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● 料金(一例)…料金は変動します。最新の料金は予約サイトで確認ください。
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部屋人数
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食事有無
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1人当たりの料金
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特記事項(プラン名など)
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2
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朝、夕
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15750〜
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● 宿泊は下記の予約サイトをご利用ください。
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● 最大25% OFF♪エコカーもあります
バジェットレンタカー
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