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清滝水路 ( 清瀧仕掛水 )

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◆◆◆◆◆ 清滝水路(清瀧仕掛水) ◆◆◆◆◆

 江戸時代に造られた清滝水路(きよたきすいろ)は明和9(1772)年に清滝から上西郷までの約5キロにわたる水路を作ったのが始まりです。 呼び名はいろいろあって清滝水路(きよたきすいろ)、清瀧仕掛水(きよたきしかけみず)、清滝溝(きよたきみぞ)、旦ノ原通し溝(だんのはるとおしみぞ)などと呼んでいます。 ここでは清滝水路(きよたきすいろ)で統一します。

 昭和60年11月1日発行の古賀町誌(古賀町史ではない古賀町誌でよい)に概略の事が書いてありますので、下記に転載いたします。

< 古賀町誌から転載 >
●清滝仕掛水と冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)
 清滝仕掛水などと云われる「清滝水路」は郡奉行冨永甚右衛門のもとで、古溝を広め、且つ新溝を掘って清滝 の水を上西郷村堤まで仕掛けたのであるが、明和九年辰五月の契約書があるから、其の頃完成したと解してよか ろう。
 覚書(契約書)には溝の通過する土地の所属する村や土地の種別又は溝巾の広さのちがいなどで小分けして、 その距離を出しているが、大別してつぎのようになっている。

蒋野村清滝川口より大行寺原迄稲作古溝広め通り
一、溝長 四百拾五間
蒋野抱稲作古溝尻より上西郷村堤頭(つつみかしら)迄新溝通り
一、溝長 七百六拾六間半
〆惣間数 千百八拾壱間半

即ち二粁一五〇米の大工事であったわけである。
この計画やその実施に当たっては、郡奉行冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)が全責任を負ったであろうと考えられる。

 この明和九年(一七七二)前後には新しい溜池が多数造築されている。本町莚内では峠の新堤、同じく天神脇堤が 明和八年に完成している。下西郷堤が上西郷内に築立仰せ付けられ、蒋野村川上から旦ノ原の通し溝(だんのはるとおしみぞ)を掘らせられたのである。
 この旦ノ原(だんのはる)通し溝(清滝水路)は明和九年に、郡奉行、冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)によって、上・下西郷村の水利権が裁定されて現在にいたっている。

 前記のように覚え書によれば二粁余の蒋野分の水利費が計上されているが、清滝から大行寺原→旦ノ原→山久丘陵→黒薄台地の間の掘溝は 実に五・八粁を流れて福間町に流入している。その間、舎利蔵、大森、柳井、竹ノ尾、引田、百田、赤坂など、七ヶ所の溜池に灌水するのであるが、 毎年一月十一日から五月十五日までの間となっている。

 現在、上西郷区と福間町の水利関係者から、明和九年の覚え書(約定証)によって薦野区へ水利費約五〇万円が支払われている。
(後略)



 上の古賀町誌により、いろいろ分かりますね。
・清滝水路は郡奉行 冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)が指導者(責任者)として工事が行われた。
・明和九年(1772年)前後には新しい溜池が多数造築された。蒋野(こもの)村川上から旦ノ原(だんのはる)の通し溝を掘らせられた。
・水路1は清滝川口より大行寺原までで古溝広げて(改修)約415間(約754.54m)
・水路2は蒋野抱稲作古溝尻より上西郷村堤頭(つつみかしら)まで新溝堀で(新設)約766間半(1393.634m)
・清滝から大行寺原→旦ノ原(だんのはる)→山久丘陵→黒薄台地の間の掘溝は実に5.8Kmを流れて福間町に流入している。
・舎利蔵、大森、柳井、竹ノ尾、引田、百田、赤坂など、七ヶ所の溜池に灌水している
・取水は毎年一月十一日から五月十五日までの間
・福間町から薦野区へ水利費約五〇万円が支払われている。(本が書かれた昭和60年(1985年)時点で50万円ですが、今はいくら払われているか調査不足で不明)

(補足説明)
・1間 = 1.81818m
・〆惣間数 千百八拾壱間半 … 〆惣間数=合計の距離の意味、 千百八拾壱間半=1181.5間 × 1.81818m = 2148.179m
・大行寺原 … 薦野と舎利蔵の境界当たりの台地
・旦ノ原 … 旦ノ原(だんのはる)は旧糟屋・宗像二郡の境で、莚内・薦野(糟屋郡)・内殿・上西郷(宗像郡)の四村にまたがる丘陵一帯のこと
・山久丘陵 … 柳井池付近の丘陵地
・黒薄台地 … 舞の里5丁目に黒薄児童公園というのがあるので、その辺りの地名と思われる。竹尾池(上・下)の近く 

(疑問点)
(1)古溝=四百拾五間、新溝=七百六拾六間半、合計=千百八拾壱間半(約2,150m)というのはどこまで?  清滝取水口から 2,150m なら旦ノ原(だんのはる)までの半分程度ですが、どこまで水路を造ったのか? 柳井池までの水路を造ったのではないのか? 柳井池までなら4,500mもあるのだが?
結局、明和9年(1772年)に造った水路はどこまでなのか良く分からない? 他の資料だと柳井池まで造ったというのが多い。そうなると水路の距離は約4,500m ですね。

明和9年(1772年)初期に造った水路は大森池(上)柳井池(上)(下)までで、その後に大森池(下)や竹尾池や引田池、百田池などに水路を造り導水した。このような手順だと思います。

(2)「舎利蔵、大森、柳井、竹ノ尾、引田、百田、赤坂など、七ヶ所の溜池に灌水している」と、あるが、 この最初の「舎利蔵」と最後の「赤坂」の溜池はどこにあったのか? 調査しても良く分からなかった。
ちなみに赤坂池は江戸時代の資料に上西郷の池八か所の中に「赤坂池 享保五年(1720年)築立」と出てくるので上西郷にあったことは分かった。たぶん柳井池と竹尾池の間であろうと想像はできる。
舎利蔵の溜池も現在の林田グリーンリサイクルの東側の方くらいしか造る場所はないですね。たぶんその付近だと思います。

 水路の築造で奮闘した郡奉行 冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)は当時の宗像、表粕屋、裏粕屋三郡の郡奉行を勤めた人です。
宗像郡では色定法師の「一人一筆一切経」の編纂(へんさん)や保管などに尽力し、文化面でも功績をのこしています。
が、反面その貢租(こうそ=年貢や賦役など)の取立ては非常に厳しいものでしたので、郡民の不平不満がつのり、 遂に天明五年(1785年)十一月に隠居を仰せつけられました。
ただし家督は嫡子の冨永軍次郎が相続し、父と同じく三郡の奉行となったそうですから、通常の相続に近いので酷い(ひどい)お咎め(おとがめ)はなかったようです。
厳しかったのも、それだけ仕事熱心だったいうことでしょうね。

 
 


 ◆ 水路図1   清滝取水口から大行寺原までは古溝広げ(改修)しました ※ ビッグ写真
水路図1   清瀧水路(きよたきすいろ)または清瀧溝(きよたきみぞ)と呼んでいます。清瀧取水口から大行寺原までは古溝広げ(改修)しました

◆ 水路図2 まずは大森池(上)と柳井池(上・下)まで水路を造り、その後で大森池(下)を造った ※ ビッグ写真
水路図2   まずは大森池(上)と柳井池(上・下)まで水路を造り、その後で大森池(下)を造った

 ◆ 水路図3   竹尾池(下)から下流は市街化が進み水路の跡を追えない ※ ビッグ写真
水路図3   竹尾池(下)から下流は市街化が進み水路の跡を追えない

 ◆ 水路図4   終点の百田池からは 井尻川→西郷川→玄界灘の順に流れる ※ ビッグ写真
水路図4   終点の百田池からは 井尻川→西郷川→玄界灘の順に流れる


■■■ 清滝水路(きよたきすいろ)を歩く ■■■

 ◆ 清滝水路(きよたきすいろ)の取水口は古賀市薦野(こもの)清滝にある清瀧橋のすぐ下流 ※場所はここ
清瀧水路(きよたきすいろ)の取水口は古賀市薦野(こもの)清瀧にある清瀧橋のすぐ下流

◆ 大根川(だいこんがわ)の両岸に桜の木が約100本、桜の名所でもある (右の青い水門が清滝水路の取水口)
大根川(だいこんがわ)の両岸に桜の木が約100本、桜の名所でもある (右の青い水門が清瀧水路の取水口)

 ◆ 清滝水路(きよたきすいろ)の取水口
清瀧水路(きよたきすいろ)の取水口

 この清滝水路の築造には二人の庄屋さんの力も大きかったようです。 下西郷村と上西郷村の農家の人達は毎年水不足で困っていました。そこで下西郷村(現福津市)の庄屋、井原権六(いはら ごんろく)さんは当時の郡奉行、冨永甚右衛門(とみなが じんえもん)に清瀧より水引きを願いを出しました。 これが発端で清滝水路は造られることになったのです。そして甚右衛門の指導により、明和9年(1772) 4月清滝川より上西郷村柳井池までの水路が完成しました。これが第一次清滝水路です。

 もう一人は上西郷村(現福津市)の庄屋、篠崎 光恭(半八)(しのざき みつやす/はんぱち)も藩に願い出て文久2年(1862) 12月上西郷村に大森下池を作り、清瀧水路の水を分けて引くようにしました。 これが第二次水路ですが、柳井池までの第一次水路が完成した約90年後の話です。
この後も水路は順次拡大され、終点の百田池までつながったものだと思われます。

動画案内(約7分35秒)


 ◆ 大根川(だいこんがわ)は、水量が多い川ではないようだ。少ない水を分けて有効に使っている
大根川(だいこんがわ)は、水量が多い川ではないようだ。少ない水を分けて有効に使っている

 ◆ 毎年1月初旬から3月末まで取水できる
毎年1月初旬から3月末まで取水できる
 ◆ 最初の754.5mは古い水路を広めたようだ
最初の754.5mは古い水路を広めたようだ
 ◆ 取水する水量も多くはない
取水する水量も多くはない

 ◆ 住宅街を抜けると田園風景が広がる(薦野(こもの)地区にて)
住宅街を抜けると田園風景が広がる(薦野(こもの)地区にて)

 ◆ わずかな勾配を付けて水が流れるようになってるようだ (薦野(こもの)地区にて)
わずかな勾配を付けて水が流れるようになってるようだ

 ◆ 昔の水路の幅は半間(90.9センチ)だったそうだが
今はその半分程度のようだ(ロスが少ないから)

昔の水路の幅は半間(90.9センチ)だったそうだ
 ◆ 薦野(こもの)も農地に水はいると思うが西郷村に
良く分けたものだ。おもいやり精神がいいね!

薦野(こもの)の農地にも水はいると思うが、西郷村に良く分けたものだ

 ◆ 旦ノ原(だんのはる)の四辻に向かって流れる
旦ノ原(だんのはる)の四辻に向かって流れる
 ◆ 水路脇に石碑がある(清滝・・・・読めない)
水路脇に石碑がある(清瀧・・・・読めない)

 ◆ 柵があるがイノシシかな? (この先まで古溝改修 部分)
柵があるがイノシシが出るのかな? (この先まで古溝改修 部分)
 ◆ 林田グリーンリサイクル付近(この辺りは新溝堀 部分)
林田グリーンリサイクル付近(この辺りは新溝堀 部分)

 ◆ 九州自動車道を跨ぐ旦ノ原跨道橋(こどうきょう)に架けられた清滝水路の通水管 ※場所はここ
九州自動車道を跨ぐ旦ノ原跨道橋(こどうきょう)に架けられた清瀧水路の通水管

 ◆ 旦ノ原の四辻を通る ※場所はここ
旦ノ原の四辻を通る
 ◆ 大森池給水口(水が流れていない) ※場所はここ
大森池給水口(水が流れていない)
 ◆ 大森池に下りる
大森池に下りる

 ◆ 大森池(上) 明和9年(1772年)大森上池に清滝水路から導水 ※場所はここ
大森池(上) 明和9年(1772年)大森上池に清瀧水路から導水

 ◆ 大森池(下)は大森(上)より約90年遅れて 文久2年(1862年)に清滝水路から導水した
大森池(下)は大森(上)より約90年遅れて 文久2年(1862年)に清滝水路から導水した

 ◆ 左が大森池(下)、右が大森池(上)
左が大森池(下)、右が大森池(上)

 ◆ 水路は柳井池(やないいけ)に向かう
水路は柳井池(やないいけ)に向かう
 ◆ 柳井池給水口 ※場所はここ
柳井池(やないいけ)給水口

 ◆ 柳井池(やないいけ)(上) 明和9年(1772年)柳井池に清滝水路から導水 ※場所はここ
柳井池(やないいけ)(上) 明和9年(1772年)柳井池に清瀧水路から導水

 ◆ 柳井池(やないいけ)(下) 堤防の工事中のようで水がない ※場所はここ
柳井池(やないいけ)(下) 堤防の工事中のようで水がない

 ◆ 舞の里団地のそばの太陽発電この辺りに竹尾池
(上)があったが今はない ※場所はここ
舞の里団地のそばの太陽発電。この辺りに竹尾池(上)があったが今はない
 ◆ 竹尾池(下)は家庭菜園の畑の中から下りる。
なかなか見つけ難い場所 ※場所はここ
竹尾池(下)は家庭菜園の畑の中から下りる

 ◆ 国道3号線そばの竹尾池(下) ※場所はここ
国道3号線そばの竹尾池(下)

 ◆ 国道3号線。この辺りからどこを通っていたのか、よく分からない ※場所はここ
国道3号線。この辺りからどこを通っていたのか、よく分からない

 ◆ 国道3号線を渡り、たぶん右の公園の上の分水嶺を通っていたと思われる(推測) ※場所はここ
国道3号線を渡り、たぶん右の公園の上の分水嶺を通っていたと思われる(推測)

 ◆ 清滝水路から給水されていると言われている 平原池(資料にはあまり出てこない池) ※場所はここ
清瀧水路から給水されていると言われている 平原池

 ◆ 清滝水路(きよたきすいろ)の終点である百田池 ※場所はここ
清滝の取水口から百田池まで直線で約5.48Km 推測の水路をたどると 約7.5Km となった

清瀧水路(きよたきすいろ)の終点である百田池

 ◆ 百田池の排水口
百田池の排水口
 ◆ たどると線路下を通り、金剛寺前の川に ※場所
たどると線路下を通り、金剛寺前の川に

 ◆ そしてルミエールそばの川に(井尻川) ※場所
そしてルミエールそばの川に(井尻川)
 ◆ 最後は西郷川に合流する ※場所はここ
最後は西郷川に合流する

 ◆ 西郷川 ※場所はここ
西郷川

◆ この本に詳しく載っている(福津市)
この本に詳しく書いてある(福津市)
 ◆ 清滝水路 動画(約7分35秒)
清瀧水路の動画案内


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